2006年10月9日月曜日

猫と話そう(有意義な時の過ごし方)


 宿に入って、一寸、寛ごうと思っていたら、猫が部屋に入ってきた。

この宿の猫らしい。

初めのうちは、荷物のにおいを嗅いだり、周りを歩き回ったりしながら、こっちの様子をみているのだ。

最初のうちは、照れ隠しってこともある。

 だが、猫の直感力の凄さは、人間の及ぶ所ではない。

千里眼かどうかは判らないが、洞察力、観察力は凄い。

体の柔軟さも又素晴らしい。

集中力だって凄い。

鼻は、犬に一歩も二歩も譲るが、視力は、特に夜目の利く事はすごい。

まるで、人間等は無能に思えてしまう。

感のよさは天下一品。

勿論、耳もいい。

 猫という生き物は、いろいろな生き物がいるこの世で、牛、馬、象、犬、ロバ、らくだ、羊、鶏といった動物が、何らかの働きをして人に喰わせてもらっているが、勿論、人間もその恩恵で生きている。

だが、猫だけは、鼠避けにはなるものの、何もせず、その天真爛漫なかわいらしさ、愛らしさ、ときには、憎いくらいの賢さで、人のそばに何千年もくらしている。

人の心を掴む達人だ。

 時には、人よりもずっとよい生活をしている。

しかも、人間と対等に生きている。

古代エジプトでは、家を守る神にもされた。

下手な人間よりも、身分も高いのだ。

そういう賢さからすれば、万物の霊長だ。

 これはと思った客がくると、もう自分の獲物のようにして近寄ってくる。

ただ、餌だけが目的でもない。

この辺りがとってもクール。

新しい人には、興味があるのだ。

好奇心からか、それとも遊んでもらいたいのか・・・・・。

人の波長を量る事が出来るのだ。

もう、チューニングを始めている。

知らん顔しながら、見えないアンテナを出して、感度をあげているのが判る。

きっと、凄いアンプを持っている筈だ。

 嫌な人の所には、近寄らない。

私は、気に入られたのだ。

猫にとっては、良い鴨だったのだ。

 牢名主には、ツルがいる。

差し入れだ。

近くの店で、ソーセージをかってきた。

もうすでに、ベッドの上で寛いで、毛繕いをしている。

猫は、「買ってきたか、よく気がつくじゃないの、よしよし」

と言っているようだ。

視線を会わせても、眼をそらさない。

波長があったのだ。

 しかも、そのエネルギーたるや力がある。

夜、真っ暗な中、猫がいると、眼と脊髄あたりが、ボーッと、或は、ギンギンに光っていることがある。

意識がしっかりして、クリアなのだ。

シヴァ神もびっくりだね。

 音楽CDの、川の流れや鳥の声を録音したものをセットして、シャワーを浴びにいき、シャワーが終わってでてくると、もうすやすやと眠っていた。

猫は自然の音がすきなのだ。

これは経験上間違いない。

 猫と遊び、猫に遊んでもらう。

猫を観察し、猫に観察される。

言葉を超えた、コミュニケーションが可能と成る。

このプロセスを通じて、人は、様々な、普段使わなくなってしまった面を、回復する事が出来るのだ。

一種のヨーガである。

猫がマスタ−と成る。

 それは、普段使わない部分を活性化し、意識と無意識とを繋げる事である。

猫にとっても、嬉しい筈だ。

基本的に、猫は天真爛漫、豊かなのだ。

天衣無縫、無邪気で、悪気など、元々、持っていない。

 猫にはかなわん。猫は不思議な生き物だ。

でも、猫はかわいい。

これからも、何千年もそうやって生きて行くんだろう。