2006年10月7日土曜日

モーニング・レイン


雨降りは、かつて、日本では天降り(あぶり)と言ってありがたい事だった。

神奈川県には,大山阿夫利神社というのがある。

 それは天の恵み、甘露であった。

南国の、陰影のはっきりした、原色の風景を見慣れていると、雨の風景はありがたい。

何時もの、ギンギンの日差しや埃っぽさ、騒音がまず減る。

何よりも、涼しくなるのが嬉しい。

大地に力がやって来る。静まり返る。

天気が変われば、世界も変わる。

 バナナやマンゴーの葉に落ちるザーッという雨音が世界を変える。

まるで、印象派の絵画のように、ぼんやりと、柔らかく、風情を変えてしまう。

からからの、暑い空気が、涼しくそして潤って来る。

ベランダにぶら下がっている蘭の花も笑い始めたように見える。

「よかったねー」と声をかける。

雨には、それなりの美学がある。

 ジーン・ケリーの映画に、「雨に歌えば」というミュージカルの名作があった。

雨であろうが、青空であろうが、同じ状況が続けば、そうでない事が楽しみになる。自然も人もバランスが必要なのだ。

喉が渇けば、水が欲しくなる。

自然も人も、相対的に生きているからだ。

 朝早くから、雨の中を、人々がはしゃぎながら、雨の中を何処かに向かっている。水煙の中、何か楽しそうだ。

大地に響く雨音で、声はかき消されてしまう。

朝から、集会でもあるのかな。

久しぶりの大雨に嬉々としているのだろうか?

 もう、雨期が始まったのかな?

といっても、一日中降る事はまれだ。

1〜2時間、或は2〜3時間降ると、雨は上がってしまう。

だが、あまりシトシトとは降らない。

紫陽花(あじさい)を湿らすような梅雨の雨ではない。

 

 そのかわり、これでもかと言った具合に激しく降る事もある。

時には、滝の中に入ったように雨が降る事もある。

時には、雷が樹々を倒し、圧倒的な雨量が、土をも掘り起こす

傘など何の意味もなくなる。

そうなると、川が氾濫する事もある。

 田舎の方に行くと、石けんもって雨の中に飛び出して来る人や子供もいる。

天然のシャワーだ。

大はしゃぎしながら、雨を喜ぶ。

それは生きる喜びだ。それは甘露だ。

日焼けした肌が、雨に濡れてキラキラと光る。

雨は、あらゆる生命を育み、蘇えさせる。

 雨が降り終わると、まだ軒下に雫がポタポタとおちてはいるものの、やがて雲間から、青空と太陽が顔を出し始める。

時には、虹が現れる。

 もうそろそろ良いかなって感じで、空が微笑みだす。

雨上がりの草むらのにおい、光りのにおい、そして土のにおい。

濡れたところがキラキラ。

風がユラユラ。

 テーブルの上に遊びにきたヤモリと目が合った。