2006年9月12日火曜日

In beauty, I walk. ( 美の中を歩く)


 ジャングルの中、道らしきものはない。あるのは毛もの道、森に生きる人も、獣達もそこを歩く。
見るもの、聞く音、感じるもの、香るもの。それぞれが、未知の香しい薫りに満ちている。
熱帯雨林はうっそうとして、密度が濃く、そこに、静かだが、強烈な生命が生き生きとしている。
樹木もすくすくと限りなく成長をし、中には50メートルを超す大樹もあるそうな。

 知られたものは過去となり、記憶となり、知識となる。 それらは、生きているものではない。 未知は、今、目の前にある。
 生は目の前に、自分の中に明らかに流れていて、私の中で踊っている。 それには形がない。それを美と呼びたい。エネルギーといってもいいし、喜びでもいい。 そこから、新たな美が、形を持って生じてくる。 美は,新たなる美を呼ぶ。

 常に一貫した答えや考えを持っているということは、単に条件反射の道具にすぎない。
生きているものではない。そのようにして、人は死んでいく。
生においては、不自然となる。
聞こえてくるのは、鳥や小動物の声。
リス、蛇、ムササビ、猿、イタチ、大きなトカゲ、ボルネオだったら メガネザルにも出会えるだろ
う。
何時かいってみたい。
ゴクラクチョウ、サイチョウ、大きなカワセミ・・・・・。
という事は、水辺も近いということか。
だとすればカワウソもいるのかな?
ヒマラヤでは、カワウソの家族と懇意になった事がある。
野生といっても、カワウソは、いたずら好きで、ひょうきんで人懐っこい。

 甲虫、蝶、トンボ、ムカデ,ななふし、でかいのやら、妙な形のやら、無数の虫。
子供にかえってしまった気分になる。
何千とも言われる、美しい花。
無数の種類の蘭が、艶やかさを、美を競っている。
無言だが、花ほど雄弁な生き物はない。
色っぽいねえ!

 水辺にそっと忍べば、鹿やカモシカ、野ぶたもやってくる。
幸い、このジャングルに虎はいない。豹もいない。
山猫はいるようだが、無理に人を襲う事はないという。
食べ物が豊富なうえに、無理して,怖い人間を襲う事はないのだという。
しばらく、近くにくらせたら、いい仲間になれそう。

 しばらく時を忘れて歩いているうちに、水の音が聞こえてきた。 どうやら、滝のようだ。 ジャングルを抜けると、そこに滝があった。 落差はないが、幅の広い、何段にも繋がった、大きな滝。 ナイアガラやヴィクトリアのようにばかでかくない所が、手頃でいい。

 三水(さんずい)に、竜と書いて,滝とよむ。中国のひとは、滝に竜のスピリットを見たのだと思う。
元々は、竜の形をした急流の事もさすらしいが、滝が即、竜の象徴のようになっているようだ。
また、別の伝説では、海千山千。 海に千年,山に千年住んだ蛇が竜になるとも言われているが、それは、裏も表も知り尽くしているという事の例えのようだ。

 竜は湖や池には住まないという。水が流れている、という事が竜の伝説の源。 生命力の源だから、勢いよく流れていないと、竜の象徴の資格がない、という事なのだろうか。また、日本では、鯉が滝を昇りきると、竜になるといわれている。

 竜は、インドや東南アジアに住むナーガの中国版といった所。 水のスピリットを象徴している。 水しぶきが虹を作り、飛沫が、熱いからだに気持ちがいい。

 ラオスから、タイ、ミャンマーにかけて、山際には、いくつもの滝がある。名前は,覚えていないが、どれも、素晴らしいものであった。 チエンマイから、タク、カンチャナブリの近くにも,素晴らしい滝がたくさんある。 滝壺には魚もたくさん住んでいて、眺めているだけでも、時をわすれてしまう。