ホッとするということは、生きていてよかった、と感じる事である。
とりたてて、何かが凄かったり、きらびやかな事でもない。
人の生活と自然が調和して、不安も文句もなく、気持ちよく安心していられる空間。
明日の事,昨日の事、全て忘れて「今」にある事。
無努力で、自分でいられる空間。
心の中に何のわだかまりもよどみもなく、風とうしがよい。
自然に、充実してくるので、疲労も消えてしまう。
そういうときは、何事も旨く行く事が多い。
実に不思議なものだ。何もせずに、魔法がおこっている。
空間とは、形なきもの。
形なきものに入って初めて、形の意味や美を知る。
生きているという事を知る。
心地良いという言葉は、心が地に着くという事。
安心して、気分が良い事が、心地よいことだ。
一般的には、物事に接する時の気分とか気持ちの事を言う。
ブッダが悟りを得た時、そっと、右手を大地に触れた。
触地印と言われる。ブッダはそこから始まった。
タイの仏像の殆どは、この触地印の形を持ったものが多い。
禅においては、心地は空っぽの心を意味し、シンジと読むそうだ。
意識という下地だけが残り、無心、静かな心とともにいる事を言うそうだ。
心地と無心は同義語だが、本来それには名前はない。
空間が充満する時、あらゆるものが美しい。
心地(シンジ)は心地よい。
気楽に寛げなければ,意味はない。
程よく、壷や必要なものがアレンジされ、程よく整理が行き届いた空間は心地よい。
この。程よくというのが難しい。
それは、非常に微妙なものだ。
何事も、度が過ぎれば、トウーマッチになってしまう。
チークという、高級な家具や船に使われる固い木材がふんだんに使われているにも関わらず、
程よく、何気なさが表に現れている。
それは、微妙な気配りだ。
チークの一寸くすんだような,柔らかな茶色のトーンが、粋を演出している。
周囲の緑や石畳を際立たせている。
こんな所でしばらく暮らしてみたい。
2006年9月7日木曜日
ホッとする空間。
時刻: 18:51