2006年9月8日金曜日

普通という魔法 2(オーディナリー・マジック 2)


 普通には、取り立てて決まった形がある訳ではない。
もしあったとしたら、それは普通とは言えないかもしれない。
難しい理屈や理論がある訳でもない。制服もない。コモンセンスと言えなくもないが、英国式のそれとも厚みがちがう。
何事もなく、フィーリングで判り合える。
ピースフルでイージーなフィーリング!
ホワイ・ノット!

 普通とはいつでもどこにでもあって、珍しくない事だが、特別な普通というのがあってもいい。普遍(ユ二バーサル)という事になれば、宇宙的、存在の全体にも関わってくる。何処かに接点はあろう。
ここ、タイ国はそうゆう意味でキャパシティーが大きい。
それぞれ、個性があっても、誰しもその人なりに普通だ。
問題が多かったら、普通とはいえない。

 タイという言葉の意味は、当然、タイ族のくにだが、自由、幸福を意味するという。
そんな国名を持った国は他に聞かない。
その上、ここ熱帯。
陰湿で、じめじめしたことは、風土に合わないのだ。
そんな事は、暑さで蒸発してしまうのかもしれない。

 聞いたはなしだが、普通の普とは、隅々まで行き渡ることだそうだが、
「普賢菩薩」の「普」、徳を司る菩薩(ボーディサットバ)に「通ずる」ことという人もいる。
普賢菩薩は象に乗ったブッダだが、ここバンコックは、同じく象に乗ったシバ神の都、クルーンテープ。あながち、戯言とも思われない。

 もしそうなら、普通とは、ただ事ではないようだ。
なんともキャパシテイーが大きく緩やかだ。
ワーオ!